倒木
2025年08月20日
7月30日早朝神社へ行くと、陶彦社の瑞垣の前に大量の小枝が落ちていた。昨夜は雨も降らず風も吹いていない。カラスたちが木の上で喧嘩でもしたのかなと思い、瑞垣を開けて愕然とした。隣の稲荷社に生えている樫の木が倒れ、陶彦社の築地塀に寄りかかり、拝殿の屋根に覆いかぶさっている。急いで稲荷社へ樫の木を見に行った。
根元から折れている。幹の内部はスポンジ状になりぐずぐずした状態である。水を汲み上げる導管は概ねつぶれ、全体のわずか3パーセントぐらいの部分のみが辛うじて生き残っている。言ってみれば、表皮一枚でつながって立っていただけである。木の上部はかなり葉が繁っているので、その重みについに耐え切れなくなり倒れ落ちた。樫の木もさぞかし大変だったことだろう。
連絡を受けて急いで見に来てくれた造園屋さんは、昨年末の境内の清掃作業のときに枝先に元気がないとは思ったそうだ。倒れて初めて上部の枝先を確認できたが、確かに枯れて葉がついていない枝が多い。けっこう前から傷んでいたようだ。ごめんね、気づいてあげられなくて。
木が倒れることに遭遇する経験はこれで四度目。
いずれの場合も、人がケガをするとか、社殿が大きく壊れるとか、甚大な被害は免れている。木はよくよく考えて倒れる方向を選ぶのではないかと思う。今回も幸いにも築地塀の一部破損と拝殿の銅板屋根に一ヵ所穴が開いた程度である。被害は軽度である。
生きとし生けるものはその生命を失うときがいつか来る。
木は何も言わない。内部に痛手を抱えていても耐えて、耐えてそそり立つのみである。管理するものは少しでも異変がないか、何か信号を発していないか注視する必要がある。
この暑い夏、神社を訪れる参拝者から「ここは涼しいですね」「空気が違いますね」と言われることがある。それは、神社の森を形成する一本、一本の木が呼吸し、寄り集まって木陰を作ってくれているからだろう。
一本の大木がいなくなると、その木が生えていた周囲の環境にも変化をもたらす。事実、大木の陰にあった木が日光に当たりすぎて枯れたこともある。風の通り道も変わる。防風林となっていた大木がなくなると、その背後にあった木には風当たりが強くなる。すると、今度は大木の陰にいた木が倒れる危険性も高まる。
新しくなった環境での生態系をしっかりと見守っていかねばならない。
鎮守の杜を守ることは、すなわち神社を守ることである。改めて肝に銘じたい。