深川神社

お知らせ

開業120周年を迎えた「せとでん」 ~その2

2026年03月30日

開業120周年を迎えた「せとでん」 ~その2

鉄道愛好家 山田 司

昨年12月、この歳時記で瀬戸の町には欠かせない乗り物、名鉄瀬戸線120周年にちなんで、その成り立ちや足跡についておおまかにお話をさせていただきました。その第二弾です。相変わらずの駄文となりますが再度お付き合い願えましたら光栄です。

<旧尾張瀬戸駅>

【瀬戸線の栄町乗入れから半世紀】

ちょうど50年前の2月14日、瀬戸線にとって歴史的な出来事がありました。その出来事とは、1976(昭和51)年2月14日の名古屋城外堀区間 堀川~土居下の営業終了(廃止は翌2月15日付)です。言うまでもなく、それは栄町乗入れを前提とした部分廃止でしたが、鉄道路線の起点側が部分廃止となって別の起点に付け変わる、ということ自体、比較的珍しい例ではないかと思います。

外堀区間廃止と同時に栄町乗入れのトンネル工事が開始され、栄町開業までの約2年半、暫定的に瀬戸線の起点として土居下(仮)駅が設けられました。1978(昭和53)年2月、瀬戸線の開業以来続いてきた貨物輸送が廃止され、瀬戸線の敷設目的の一つが失われると同時に、栄町乗入れによる都市近郊形路線としての性格付けの明確化が成されることとなります。そして貨物輸送廃止の翌月、瀬戸線の架線電圧が従来の直流600Vから、名古屋本線などと同じ直流1500Vへと昇圧が行われ、それまでの車両は一夜にして全て入れ替えられました。従来の車両数28両に対して新たに34両が入り、うち12両は瀬戸線が1939(昭和14)年に名鉄に合併して以来初の新車が投入され大きな話題となりました。それから半年後の1978年8月20日、待望の栄町乗入れが実現し、栄町駅、東大手駅が新たに開業。この日を境に、瀬戸線が生まれ変わったと言っても過言ではありません。

<尾張瀬戸駅新築移転前夜>

その後、尾張旭駅の移転改築、印場駅開業、尾張瀬戸駅移転改築をはじめ、駅施設の改良が次々と行われ、喜多山車庫も尾張旭へ移転しました。以前は踏切が多いことでも知られた瀬戸線でしたが、栄町~矢田間はほぼ完全に立体化、近年では喜多山駅も高架化されるなど、栄町乗入れの実現した半世紀前とは大きく様変わりしています。また、1988(昭和63)年の愛知環状鉄道開業も大きな出来事として挙げられ、それは瀬戸線の価値をさらに向上させたと言えるでしょう。

【瀬戸線の車両の移り変わり】

瀬戸線は1905(明治38)年の開業時「瀬戸自動鐡道」という社名で、用意されたのは

フランス製「セルポレー式蒸気動車」でした。この車両はいわばチンチン電車の車内に小型SLのボイラーを積んだような自走車両ですが、どうにも不調ですぐに会社は電化を決定し社名も「瀬戸電気鐡道」と改称、車両もまだ全国に多くはなかった電車を導入しました。当初は2軸車輪の路面電車スタイルに始まり、大正末期には大型化した4軸車ホ103形が主力となります。1936(昭和11)年には急行運転用としての気動車(ガソリンカー)も投入されましたが、これが瀬戸電最後の新車となり、1939(昭和14)年の名鉄合併後は瀬戸線用の新車が作られることはなく、1978(昭和53)年の1500V昇圧実施に至るまで本線の余剰車などが代わる代わる転入して来る状況が続きました。

それでもいくつかの時代の波というものはあり、1966(昭和41)年運転開始の特急に使用されたモ900形7両とク2300形・ク2320形7両には瀬戸線で初めて、自動扉と2両編成の間を行き来するための貫通幌を装備しました。また、特急車としてパノラマカーと同じスカーレットの車体色、逆富士形行先表示板やミュージックホーンも備え、車内が転換クロスシートとされた車両もありましたが、特急用とはいえ昭和初期の車両の改造で、いささか無理のある改装と言わざるを得ないものでした。

<尾張旭の車庫で4種類の顔を合わせた赤い電車>

1970年代に入り沿線の都市化が進むと、車両が小さく混雑に対応しきれないことや半数の車両(29両中14両)が手動扉であることの危険性が指摘されるようになり、1973(昭和48)年には本線から3700系10両の転入と瀬戸線既存車4両の改造で全車自動扉化と輸送力改善が図られました。3700系は瀬戸線初の全金属製車体で、瀬戸線始まって以来の車体長が17m、車体幅も10㎝広い車両でしたので駅ホームはじめ各所の調整を要したそうです。

こうした車両改善が試みられてはいるものの、しかし、戦後の復興期にも高度成長期にも瀬戸線には瀬戸線に合った新車が配置されることがなかったのはなぜでしょうか?巷では「名鉄が瀬戸線を低く見ているからだ」という声も聞かれた時代がありましたが、実は名古屋市の地下鉄計画と関係があります。戦後の地下鉄計画の中に、瀬戸線を現在の地下鉄名城線との乗入れで市役所~栄町にアクセスするという案があり、車両も名城線と同じ軌間(レール幅)1435mm(名鉄の軌間は1067㎜)に拡げることまで想定されていました。この案の検討が昭和40年代まで続き、瀬戸線の栄町単独乗入れが決まるまで、将来を見据えた車両の新造には踏み切れなかったのが実情で、名鉄は瀬戸線を低く見るどころか、都心直結で飛躍させたい思いがあったと見るのが正しいようです。

<試運転が始まった頃の4000系>

栄町乗入れ工事完成が迫り、架線電圧も1500Vに昇圧した瀬戸線には、待望の新車両が配置されました。瀬戸線専用の新車6600系12両と本線から3780系、3770系22両が転入し基本的に本線と同様な車両の運転が可能となった瀬戸線ですが、栄町~東大手は地下鉄同様の保安基準が適用され、車両にはより厳しい不燃化対策や前面非常口の設置などが求められました。栄町乗入れ開始時に34両だった車両数も徐々に増加し、現在では76両(19編成)と、当初の2倍以上に達しています。1990(平成2)年には全車冷房化、1996(平成8)年には車体長17mの2扉車を淘汰し全車が車体長18mの3扉車両に統一、2014(平成26)年には鋼製車体の赤い電車が完全引退し全車ステンレスカーとなった瀬戸線は、名鉄全線の中でも今や車両の面でも大変レベルの高い路線に成長しています。また、現在の車両では瀬戸線の急カーブへの配慮として、主力の4000系(瀬戸線専用形式)の足回りは本線の車両よりも急カーブに強い方式としており、その後に1編成のみ増備された3300系(3306編成)は本線の既存形式ながら足回りを瀬戸線専用に設計変更したものとなっています。この3300系は瀬戸線19編成の中でただ1本、主力の4000系の直線的な顔とは違う丸みのある表情が特徴です。瀬戸線に乗られる機会があれば、ぜひ見つけてみてください。

<1編成だけの3300系>

「瀬戸蔵ミュージアム」に保存展示されているモ750形は昭和30年代から栄町乗入れ直前まで活躍した車両ですが、現在の瀬戸線を走る4000系と比べるとまさに隔世の感があります。外堀区間の廃止と栄町乗入れから半世紀。瀬戸線では線路の立体化や駅、車庫の整備、新しい車両への統一など、常に進化、発展を続けてきました。これからさらに瀬戸線はどう発展し、姿を変えていくのでしょうか。それでも、沿線では「せとでん」と呼ばれる親しみある路線であってほしいと願ってやみません。

▲ ページの先頭へ