私の染付と瀬戸染付
瀬戸陶芸協会会長
愛知県立芸術大学美術学部陶磁専攻 教授 太田 公典
現在染付の制作をしていますが、私が染付を制作の中心にしたのは愛知芸大に赴任した平成5~6年頃からでした。すでに平成5年には瀬戸市歴史民俗資料館で「明治時代の瀬戸窯業」展が開催され、染付の新たな評価の視点が形作られ始めていました。
太田公典「染付金銀彩岩辛文扁壷」2018年
平成8年には瀬戸市文化財課服部文孝氏が「博覧会出品、輸出された日本近代陶磁」(ポーラ文化財団)を、その後平成20年学術振興財団研究費による「明治期に海外流出した近代工芸の調査」の研究協力者として研究を深められ、その間に海外の瀬戸染付の里帰りなどを実現されるなど現在まで様々な形で明治期の瀬戸陶芸の展覧会がおこなわれてきました。輸出陶器を中心とした瀬戸染付は南画系の山本梅逸、伊豆原麻谷、亀井半二、大出桐江などにより花鳥を描きながら、幕末の西洋画の影響を受けた陰影によるボリューム感や空間感を取り込み描かれた大型の壺などは、欧米で人気を博しました。
明治という新たな時代の陶磁器として墨絵のように青一色で描きながら西洋絵画のデッサンによる空間と陰影の表現に近代の写実絵画を感じさせる描法が特徴と言えます。
川本桝吉「染付花鳥図獅子鈕蓋付大飾壺」 1876年頃 瀬戸市歴史民俗資料館蔵
平成12年には、瀬戸染付の展示と人材育成のために西郷町の「古陶園竹鳳窯」の登り窯と陶房がリニューアルされ「瀬戸市マルチメディア伝承工芸館―瀬戸染付研修所-」として開館し、後に「瀬戸染付工芸館」となる施設が作られました。この施設は郵政省「マルチメディア街中にぎわい創出事業」補助対象施設として文化財課山川氏、服部氏などの尽力によって発足しました。現在も全国各地から染付に興味のある若者を募集し染付経験のない若者も絵付けを最初から学べる学校のような施設として運営されています。
平成元年にできた愛知県立芸術大学陶磁専攻でも、鉄絵、染付の絵付けを中心とした装飾技法を研究する学生が多く、染付工芸館にも多くの卒業生が研修生として学びました。愛知芸大での染付の考え方は、植物の描写を、陰影を使って空間の中にあるように描くというものでした。
学生作品 長尾正子「牡丹文皿」2005年
この考え方は富本憲吉が生家奈良県安堵村の風景スケッチを染付で描き、その弟子であった藤本能道も「光の中に飛翔する鷺」などを描いたように、自分の目でみた光の中にある物体を描くことが根底にありました。愛知芸大での指導も、濃み筆による暈しを使った陰影表現を発展させることで、様々なモチーフを描くことが出来るようになり、現代の染付表現を確立するようになりました。この暈しを使ったグラデーションによる自然描写はいつの間にか全国に広がり公募展などで多くの染付作家が同様の描法で描いています。鑑賞する方々も瀬戸染付は昔から写実的で自然な暈しによる描写が特徴と思っているようですが、現代の技法として学生たちによって再構成された描写技法といえます。
富本憲吉「染付安堵村風景大鉢」 1925 年
藤本義道「草白秞描色絵金彩驟雨小鷺図八角緒大皿」1990 年
瀬戸陶芸1300年の歴史から見れば、瀬戸染付は200年余りですが江戸から明治という大きなうねりの中で新しい技術を手にした先人が進取の気質を発揮して研究を重ねた結果瀬戸に定着したと言えます。現代も科学技術の変化により「ものづくり」の現場は大きく変わり、陶芸を取り巻く状況も生活様式も大きく変化して、食器の概念も時代の中で変わろうとしています。瀬戸染付もこれまでの独特な表現を次の時代の表現として、明治期のように芸術性高い作品を生みだしていく変化への努力が必要と考えています。