瀬戸保護区保護司会創立70周年について
瀬戸保護区保護司会 会長 加藤 春彦
昭和25年5月に保護司法が施行、昭和27年の更生保護機構改革に伴い、瀬戸保護区保護司会が設立され、今年創立70周年を迎えました。現在の瀬戸保護区は瀬戸市、尾張旭市の2市により構成されています。瀬戸市は“せともの”で全国に名前を知られる陶磁器産業のまちですが、大部分が緑豊かな地域であります。一方、尾張旭市は名古屋市に隣接し、その影響を受けて都市化が急速に進み、現在では田園都市から住宅都市として生まれかわり、人口の増加は今も続いています。
保護司会の沿革を紹介する前に瀬戸地区における更生保護の歴史についてふれておきます。 瀬戸地区での更生保護の歴史は古く、100年以上前にさかのぼります。愛知県に自啓会が誕生した明治27(1894)年、瀬戸市には栄泉教会ができ、そこに進歩的な人々が集い、将来のことを考えるなか、瀬戸に自啓会を作る運動が起こりました。そして、明治29(1896)年に瀬戸自啓会支部が発足しました。その後、昭和7(1932)年に財団法人となり、昭和14(1939)年に司法保護事業法が施行されたことで私設保護団体となりました。
保護司会の礎としては、日本で最初に司法保護委員が誕生した大正11(1922)年であり、ここ瀬戸においても10名の司法保護委員が誕生しました。翌年の大正12(1923)年には少年法に基づき、学校の教師を主体とした少年保護委員が誕生しました。その後、昭和12(1937)年に全日本保護司連盟が発足し、2年後に司法保護事業法の施行に伴い司法保護委員が法制化されました。そして、昭和24(1949)年に成人保護司と少年保護司となりました。
昭和25(1950)年5月に保護司法が施行、昭和27(1952)年の更生保護機構改革に伴い瀬戸保護区が設立された設立当初は、35名の保護司で組織されていましたが、後の町村合併により、昭和28(1953)年に水野地区、昭和29(1954)年に品野地区と山口地区、昭和37(1962)年に尾張旭から保護司が参加し、現在の瀬戸市と尾張旭市の2市で構成する瀬戸保護区保護司会が誕生しました。昭和62(1987)年に総務・研修・犯罪防止・更生保護の専門部会を設け、平成30(2018)年には瀬戸市役所内に更生保護サポートセンターを開所しました。現在は、54名(瀬戸37名、尾張旭17名)の保護司を会員として、更生保護活動を行っています。 <愛知更生保護50周年記念冊子から一部抜粋>
明治以来、幾多の困難に遭遇しながらも、先輩保護司、更生保護事業に携わってこられた方々の不断の努力と献身的なご協力により70周年を迎えることができました。
新型コロナウイルス感染防止の観点からここ2年余り、保護司活動も制限されましたが、対象者に対しての取り組みは以前同様円滑な社会復帰を目指すと共に、再犯防止にも努めて参りました。瀬戸保護区保護司会は少子高齢化、経済的格差、人間関係の希薄化など多様化した社会の問題がある中、各更生保護団体と連携し、瀬戸更生保護サポートセンターを基盤とした地域の安全、安心の実現に向けて一層の尽力をしてまいります。なお、創立70周年を記念して講演会を開催いたします。ぜひ多くの方にご来場いただきますようご案内申し上げます。
記念講演 「転んだら、どう起きる?」
日 時 令和4年7月15日(金) 午後1時30分~(開場0時30分)
場 所 瀬戸市文化センター
講 師 俳優 宇梶 剛士(うかじたかし)
1962年アイヌの母のもと生まれる。高校球児として甲子園を目指すが途中で挫折。構成員2,000人の巨大暴走族の総長に。荒れた日々の末、収監された少年院でチャップリンの自伝に感動し役者を志す。錦野旦氏の付き人、菅原文太氏の弟子を経て俳優デビュー。美輪明宏氏、渡辺えり氏の下で役者修行の末、現在はドラマ、映画、舞台と幅広く活躍。
申込先 瀬戸市役所社会福祉課 0561-88-2610