瀬戸の名木調査と日比野修氏
元瀬戸市歴史民俗資料館長 山川 一年
瀬戸市は、東の木曽山系が西の濃尾平野に移り替わる位置にあり、市域の3分の2が山林地帯となっている。ここは北の犬山から南の知多半島に伸びる尾張丘陵の一端を占め、緑豊かないわゆる里山地帯でもある。戦後の高度経済成長期に企業団地や住宅団地、あるいは大学や研究施設などの都市的構成要素が立地して、次々と里山は開発されていった。開発によって消滅する古墳や古窯などの埋蔵文化財の発掘調査は進んだが、「緑の文化財」ともいわれる貴重な植物群落などにも、十分に目を向けて対策してきたとは言い難い。
日比野修氏は昭和6年8月中水野生まれ、農協や陶生病院職員としての勤務の傍らで山野を歩き、植物観察で自然調査を続ける在野の研究者であった。開発地に貴重種を発見すると保護を申し出られていた。加藤繁太郎元市長に直接手紙で直言したこともあった。
昭和53年に氏が発見したヒトツバタゴは市内唯一の自生樹であったが、愛岐道路を走る職場の慰安観光バスの窓から見た白い花だったという。しかし、この時期の最高の功績は、わが国で最初の新品種マルバタラヨウを昭和54年に氏神境内で発見したことであった。
マルバタラヨウ 中水野町三社大明神社境内 樹高18m・幹周り110㎝
平成8年、権威ある学会誌でこれはモチノキとタラヨウの交雑種でマルバタラヨウと命名、新品種として認知された。平成9年瀬戸市天然記念物に指定された。
井上博通市長は、新たな編纂委員体制による瀬戸市史の発行事業を決定した。『資料編村絵図』(昭和60年発行)に続いて、『資料編二 自然』(昭和61年発行)が企画された。昭和57年から始まった植物調査委員に日比野修氏が就任、翌年、後々二人三脚の活動の相棒となった塚本威彦氏(東京大学演習林職員)が加わって、全市域の多様な植生と生態が調査されることとなった。
私が長年の高校教員から瀬戸市歴史民俗資料館長に就任したのは昭和63年で、翌年から文化財課長を兼任することになった。日比野氏らとの濃密な交流も始まり、「今国道155号銭の拡幅工事が始まっている。あの先にシリブカガシという熱田の森とここしかない貴重な樹木がある、何とかして」と駆け込んでこられた。翌日、名古屋土木事務所に出向いて調整、現在は市民公園の信号角の敷地に移植されて立派に生育している。日比野氏が昭和58年に内田町で発見されたヒトツバタゴの自生する雑木林が開発されることになり、民間所有地で規制もできないが、「犬山は国の天然記念物に指定している。当地のものは国の南限になる貴重なものだ」ということで、生育条件のよく似た隣接の瀬戸市野外活動センタ―に移植することになった。平成2年3月のことで、枯れないようにバケツの水を運び続けられた姿も懐かしい。今も立派に生育し、市の天然記念物指定を訴え続けておられた。
ヒトツバタゴ 野外活動センター 樹高6m(移植)と下半田川町 樹高 14m
別名ナンジャモンジャの木として知られる貴重木。5月の新緑の頃白い花を樹木全体につけるため、遠くから雪を頂いたように見える。瀬戸市内の学校に植えられている。
平成9年、『瀬戸市の名木』を発行した。日比野・塚本両氏や瀬戸市立小・中学校の理科研究会の先生方が加わった名木調査会で足掛け3年間の事業だった。調査された名木(古木・巨大木・記念木など)や社寺林などから「名木百選」を発表し、文化財(天然記念物)指定や保存樹制度など市民の宝として大切に保護する目的だった。
この中で実施した13社寺林の詳細調査や市内全域のシデコブシ悉皆調査は、同時に発行した『瀬戸市歴史民俗資料館 研究紀要 1997』の中で発表した。特に「瀬戸のシデコブシ」は、全谷(生育木のあるもの407谷)ごとに悉皆調査され、樹木総数12022株(本)の全容が明らかにされた。後に開催されることになった愛知万博の当初の海上会場計画地域の資料ともなった。
シデコブシ 伊勢湾周辺の低山地,丘陵地の湿地という特別な環境に適応して生育する日本固有種。
氷河期の遺物といわれ、レッドデータブックで絶滅危急種に指定される。瀬戸市の中でも濃密に分布する地域は、掛川小学校から保育園にかけての谷筋に計1216本、馬ケ城水源地2402本などで、幡山東部・北部地区の広久手地域1157本、海上地域485本が分布する。日比野修氏らはその後「自然を守る会」を立ち上げ、「東海環状自動車道 瀬戸市内予定区間の貴重種植物調査」(平成10~15年)、「瀬戸市に分布する貴重な野生植物調査」(平成12~22年)も続けられた。
平成13年、日比野修・塚本威彦両氏は、瀬戸のまちに貢献する個人・団体に光をあてる「陰の功労者」として第46回瀬戸JC賞を授与された。「自然を守りたいという強い気持ちから“自然を守る会”を発足、瀬戸市の貴重な草木類の調査・保護を目的として活動され、貢献されました」。『瀬戸市の植物』(愛知県植物誌調査会・2012発行)は、日比野修・塚本威彦共著の集大成ともいうべきものとなった。日比野修氏は昨秋11月26日、鬼籍の人となられた。
『瀬戸の名木』と『瀬戸市の植物』