曜変と瀬戸との関係 九代 長江惣吉
瀬戸市上品野町の窯屋の長江惣吉と申します。
私の家では父の八代・長江惣吉が1947年に国宝の曜変(曜変天目茶碗)の再現研究を始め今年で70年になります。父は1995年に亡くなりその後の研究は私が引き継いでいます。
現在、その再現研究の成果(写真下)を瀬戸市美術館において「曜変・長江惣吉展」と題し展示をさせていただいています。(7月30日まで開催・7月11日のみ休館)皆様にはぜひご高覧を賜りたく存じます。
(九代・長江惣吉作 曜変)
国宝の曜変の特徴は黒い釉の茶碗の内面に「星紋」と呼ばれる斑紋とその周囲に生じた鮮やかな光彩です。
曜変は中国の宋代(AD1100年代)に、おそらくは皇帝のため特別に福建省の建窯で作られた茶碗です。あまり知られていませんが、宋代の最高級のお茶は白い色をした抹茶でした。この白い抹茶は製造に非常に手間が掛り大変に高価でした。現在の日本の緑色の抹茶は、宋代の白い抹茶の手間を省いた簡便版というべきものなのです。宋代の抹茶は白かったので黒い釉の茶碗が茶を引き立てて良いとされました。そのため当時、黒釉茶碗(天目茶碗)には様々な種類のものが作られたのです。さらに黒釉茶碗に光彩があると白い抹茶に映えて大変に美しく見えます。そのため建窯では光彩のある茶碗がいろいろと作られましたが、中でも曜変は最高傑作です。このように曜変は喫茶の用に即した美を追求し、美麗な星紋と光彩を出すため窯業技術の粋を凝らした宋代喫茶文化・陶磁文化の結晶なのです。
この曜変の星紋と光彩の技術は宋代以降絶えてしまい、再現は不可能であると言われ続けてきました。そのため多くの研究者や陶工がそれに挑み続けていますが、瀬戸の地で曜変再現を行うのは格別の意味があるのです。
瀬戸では鎌倉時代後期のAD1300年頃から中国の天目茶碗を真似た「瀬戸天目」(写真下)を作るようになりました。
(瀬戸天目茶碗 室町時代 瀬戸蔵ミュージアム蔵)
日本で初めて作られた「喫茶のための碗」つまり「茶碗」です。瀬戸天目はそれ以降、現在に至るまで700年余ずっと伝統が続いています。瀬戸では700年間にわたり中国の天目茶碗を目標として数多くの陶工の人たちが天目茶碗を焼き続けてきたのです。江戸時代に言われ始めた話でしょうが、陶彦社に祀られる瀬戸陶祖の藤四郎さんが曜変が焼かれた中国の建窯で修行したという伝説さえあります。そのため、この瀬戸で中国の天目茶碗の中でも最高の曜変の再現研究を行うことは、瀬戸700年の先人に敬意を捧げその目標を達成し、更には伝統の再生に繋がるものであると私は信じ感謝と誇り持って仕事をしています。
曜変再現研究から得られた光彩の技術の新展開により生み出した、宋代とは異なる光彩の作品(写真下)を未来の瀬戸の伝統として定着させたいとも思っています。
会場にはこうした作品も展示してありますのでぜひご覧ください。
皆様のご来駕を瀬戸市美術館にてお待ち申し上げます。