古時計蒐集について
日本古時計保存協会会長 戸田如彦
古時計と出会ったのは40数年も前の事になると記憶しており、友人が我が家に一台の古時計を持って現れたことに由来する。 私が古いものが好きだからと自分の家にあった古時計を持って来てくれたが、その時は古時計に興味はなかった。しかし折角持って来てくれたので有難く貰い、暫くはそのままの状態にしてあった。
ある時、友人が折角持って来てくれたものだからと、時計を動かそうとしたけれどまったく動かなかった。 長い間倉庫に放置してあったせいか、油が固まってしまい歯車が動かず、機械から修理をしなくてはいけない。 まさか自分が古時計を修理するとは思ってもみなかったが、乗りかかった手前投げ出す訳にも行かず、作業する羽目になる。 機械を取り外し、長年たまった油を取り除き洗浄する事にしたが、これが思った以上に時間が掛かってしまった。
それ以来、毎日古時計の修理、慣れない作業と不慣れな機械と取り組むうち、何時の間にか機械の仕組みが理解出来るようになっていた。本体の箱も綺麗に掃除をし、機械を完全に動くような状態に戻して本体と合体させ、組み立てやっと完成させた。この感激が刺激となり、それ以後古時計を蒐集しようと志すが、何をどの様にして集めたら良いか思案に暮れる事になる。
それから、手当たり次第に古時計を求めて名古屋の骨董屋をまわる事に、しかしそれが古時計の奥の深さにはまり込む。手始めに明治時代に地元名古屋で製造された古時計を全部集めようと決め、精力的に骨董屋巡りを繰り返した。
(中條勇次郎製造の時計)
瞬く間に数十台の古時計が集まったが、当初の目標に程遠く、それからが古時計を求めて全国の骨董屋を駆け巡ることになる。 然し自分の少ない小遣いで古時計を買い求めるため、高い古時計は買えず、その分自分の足で稼ぐしかない。 安い古時計を求めて、兎に角骨董屋や蚤の市に行き、ひたすら古時計を探し求め全国を巡る。
その結果思わぬ古時計との出会いを果たす事に、日本で二台しか存在ないと言われた中條勇次郎製造の時計を発見。 この時計の発見により、今まで以上に古時計蒐集に拍車がかかり、古時計は5、600台になり、我が家では到底入らず、結果は友人に保管してもらう羽目になる。
(久米邸での保存協会の時計展)
ある古時計の先輩から、数だけではなく資料的に高い古時計を集めなさいとの指摘、それ以来史料価値の高いものをと探すことにした。 40数年の蒐集で自分の手に入れた古時計は6000台を超していると思われ、その中には日本で一台しか存在していない古時計もあり、また時計史上資料的価値の高い時計も数々存在し、現在所有は600台になっている。 蒐集した古時計は明治村をはじめ、色々な博物館や施設での展示をして、古時計普及に一役買っている。2001年にアンティーク掛け時計の本を出版、雑誌「小さな蕾」やその他数々の雑誌に古時計の記事を掲載、古時計普及に努めている。 現在、日本古時計保存協会を設立、全国会員は550人を超し、会員の古時計に対する質問や協会運営にも力を注いでいる現状です。