平成30年国府宮はだか祭り大鏡餅奉納に寄せた想い
大鏡餅奉納瀬戸市奉賛会 副会長 杉山 仁朗
平成30年2月28日に1200年以上の歴史のある尾張大国霊神社通称「国府宮」のはだか祭りが斎行されます。そのはだか祭りに重要な役割を担う「大鏡餅奉納」を瀬戸市が担う事が決まったのが、平成28年の秋も深まった頃だったかと思います。
その発端は瀬戸市商工会議所の成田会頭が国府宮の関係者や過去の奉納体験団体の関係者から情報を集めて「これなら瀬戸でも出来る、この行事をオール瀬戸で行うことにより瀬戸の活性化につなげたい」という強い思いから、会頭自らが先頭に立つ覚悟をしました。この発想は平成26年に深川神社の一の鳥居を修復建設した時と全く同じ発想でした。会頭の地元に対する熱い思いからです。
瀬戸市は大鏡餅の奉納を過去に体験をしていますが、54年前のことなので覚えている人も資料も殆ど残っていません。しかし、やると決めた以上前に進めなければなりません。知り得た少ない情報でも、この事業には相当な費用と人と時間が掛かるということだけはハッキリしていました。
そこで組織作りは、初めは商工会議所と、すでに情報を共有していた有志の皆様達が先達としてその役割を担うことになりました。会の名称も「平成30年国府宮はだか祭り大鏡餅奉納瀬戸市奉賛会」と決めて、事務局を成田会頭が自宅の離れを提供してくれました。この事務局の存在は、今後の会の運営に対して大きな力となりました。
組織の構成は瀬戸市内の殆どの協会、組合、会合、クラブと名のついた団体に「相談役」として参加をお願いしました。その数は40団体にも及びました。会長は成田会頭、副会頭は副会長を拝命して、組織作りをスタートしました。
実働部隊として募財、総務、事業の3本部制を布き、各部に事務局を設置して業務ごとに5事務局、17部会を設定しました。部会長以上の役員及び管理者は総勢で100人以上に達する大組織でこの事業を進めることになりました。
その頃から、「国府宮様」と神男のOBで組織された「鉄鉾会」の皆様が自発的に出向して来てくれまして、組織作りから運営の手順、仕事の進め方などすべてに亘って懇切丁寧にご指導をしていただきました。54年間の空白で経験者のいない奉賛会の穴を埋めていただくことになりました。
「国府宮様」と「鉄鉾会」の経験豊富な指導は本番に近づくにつれて、きめ細かくなり、親切で丁寧で安心して事業を進めること出来ました。これらの状況を見ていて、このお祭りの重要な役割である大鏡餅の1251回目の奉納が、伝統を守り瀬戸市奉賛会でも同じように受ける事ができた秘訣を見たような気がします。
瀬戸市奉賛会は「国府宮様」と「鉄鉾会」の支援を受けながらスタートしましたが、最初は各会合共に集まりも悪く、支援の皆様が言っている言葉の内容さえも理解できない状態でした。しかし役員会、各部会を重ねるごとに、ゴールの決まっているスケジュールにも押されて、各々が何をどのようにすべきかを理解するようになり、「お田植え祭」などの具体的行事をこなし始めてからやっとエンジンが始動し始めました。各会合の場所を成田会長の自宅の離れと食堂を利用させていただいたことにより、突然の病に襲われた成田会長の熱い思いをいつも共感できているというパワーが、奉賛会の背中を強く押し続けてくれていました。
「国府宮様」と「鉄鉾会」の皆様も根気よくご指導いただきましたが、最初の頃は動きの悪い奉賛会に対して叱咤激励の強い言葉も聞かれました。しかし、年が明けて動き出した奉賛会の稼働状況を見て、「もう少しです。これなら出来る」という励ましの言葉に変わってきました。
2月13日の最終拡大全体会議では、奉賛会の発起人でもある3本部長、事務局長と5事務局部長、17部会長が、それぞれ担当行事の時間差はありますが、横一線に並びスタート準備完了の状態を見ることが出来ました。「国府宮様」「鉄鉾会」の皆様からも「よくここまでこれました。後は本番で頑張りましょう」という言葉をいただき、出席した全会員も本番前の緊張感に包まれながら、ここまでこられた道程を噛みしめて、奉賛会がひとつになれた一体感に満ちていました。
最初は各種行事の参加者の少なさに大きな不安を抱き、年が明けても集まりが悪く「あとは市民の集まり具合だけだ」と心配していましたが、最終的には市民の関心も高まり、ほとんどの行事に定員オーバーになるほどの参加がありました。「餅つき」「奉納パレード」の主な行事では、成田会長の熱い思いが叶えられ「瀬戸がひとつになった」のを見ることが出来ました。
最後にこの偉業、大鏡奉納が成功裡に納まったことに、またこの行事に関わってくださった全ての皆様に感謝申し上げますとともに、このことを原動力にして瀬戸が益々発展することを祈念いたします。