北川民次と瀬戸
瀬戸市美術館 館長 服部文孝
北川民次について
北川民次(1894-1989)は、明治27年(1894)に静岡県榛原郡五和村牛尾(現:島田市牛尾)に生まれ、大正2年(1913)に早稲田大学予科を中退して翌年アメリカに渡り、ニューヨークで舞台背景を制作する職人として働きながらアート・ステューデンツ・リーグで絵画の基礎を学んでいます。そして大正10年(1921)には、メキシコに移り、昭和11年(1936)に帰国するまで約15年間メキシコに滞在しています。メキシコでは、様々な苦労をしながら国立美術学校やチュルブスコ旧僧院「芸術家の家」で学んだ後、トラルパムやタスコの野外美術学校で児童美術教育の実践に取り組むとともに、本格的に絵画の制作を行うようになります。
昭和4年(1929)には、瀬戸出身の二宮鉄野と結婚しており、これが後の瀬戸との縁を結ぶきっかけとなりました。メキシコ滞在中には、ディエゴ・マリア・リベラ(1886-1957)、ホセ・クレメンテ・オロスコ(1883-1949)、ダビッド・アルファロ・シケイロス(1896-1974)、ルフィーノ・タマヨ(1899-1991)などメキシコ現代美術の確立に大きな足跡を残した作家との交流などにより、彼等からの影響を大きく受けるとともに、藤田嗣治(1886-1968)、国吉康雄(1889-1953)、イサム・ノグチ(1904-1988)がメキシコ滞在中の民次を訪れ交流を図っています。まさに民次においてメキシコでの生活は、後の民次の制作に大きく影響を与えていったのでした。
そして、昭和11年(1936)、民次42歳の時にメキシコから帰国し、静岡の実家に滞在の後、妻の鉄野の実家である瀬戸市刎田町に滞在した後に、翌年瀬戸市十三塚38-2(現:京町2丁目)に借家し、二科展に出品するための作品制作に取り掛かっています。その後上京し東京に住むようになり、二科展にはメキシコの人物・風俗や瀬戸の風景を題材とした作品を出展し、会員に推挙されています。以後、二科展への出品や個展を開催するなど積極的に制作を展開していきますが、戦争の激化に伴い、昭和18年(1943)には、瀬戸市安戸町23番地に疎開することとなります。これ以降瀬戸での制作が中心となり、瀬戸の北川民次となっていきました。戦後も活発な制作活動を展開していき、昭和53年(1978)には二科会の会長に就任するなど、日本画壇を牽引していった日本を代表する洋画家と言えます。
瀬戸市民に愛された北川民次
今回の展覧会では、没後30年という節目の年にあたり、北川民次がアトリエを構え、愛したまちである瀬戸市において、「民衆とともに生き、民衆の中で描いた」民次が、瀬戸市の中に浸透し、愛され続けていることを再認識する機会とするため、市民がご所蔵の北川民次作品を公募して展示したものです。最終的には30名以上の市民からの応募があり作品も200点以上の作品が集まりましたが、展示スペース等からその内の約150点を展示しました。民次芸術の特徴でもある、油彩だけでなく版画、水彩、陶画などの様々な技法を駆使した作品が集まっています。半世紀以上にもわたり各家庭で大事に保存され、伝えられてきた作品も多く、瀬戸市民にとって北川民次が本当に近い存在であったことを今回の展覧会は証明していると思います。
瀬戸市美術館展示
瀬戸信用金庫アートギャラリーの開館
瀬戸信用金庫の歴史は、旧本町支店の前身である瀬戸南部信用組合(設立:大正15年6月)を含む5つの信用組合(瀬戸東部、同南部、同北部、今村、赤津)が合併した瀬戸市信用組合(設立:昭和17年11月)の設立に遡ります。
旧本町支店は、瀬戸市信用組合南部支所として設立当初から営業してきた歴史ある店舗でしたが、平成7年7月には、東本町1丁目13番地から現在地へ移転、平成30年11月16日の営業終了をもち、栄町支店へ店舗統合しました。この瀬戸信用金庫発祥店舗のひとつである旧本町支店跡を改修し、令和元年5月30日、新たに「瀬戸信用金庫アートギャラリー」として開館しました。このギャラリーでは、主に瀬戸信用金庫が所蔵する作品の展示や地域の作家を中心とした企画展の開催を通じた地域の文化・芸術への貢献を今後行っていく予定です。また常設で北川民次の作品を展示するスペースを有していることから、北川民次の作品を瀬戸市内でいつでも見学出来る唯一の施設として、今後の大きな役割を果たしていくと考えています。
瀬戸信用金庫アートギャラリー外観
瀬戸信用金庫とカレンダー
年末が近づくと瀬戸の風物詩ともなっていると言っても過言ではない、瀬戸信用金庫から次年のカレンダーが配布されます。この北川民次の作品を使用したカレンダーは昭和33年(1958)のカレンダーから採用され、民次は当初カレンダー用にその原画を特別に描いていました。このカレンダーの製作は、民次が亡くなっても現在まで続けられており、60年近い永い歴史を有しています。現在、民次が亡くなってから30年が経過し、民次を知る人も少なくなっていっている状況の中で、瀬戸信用金庫のカレンダーは民次と瀬戸をつなぎとどめる大きな役割を果たしています。このカレンダーが一堂に7月21日(日)まで瀬戸信用金庫アートギャラリーにおいて、その原画とともに展示されています。
瀬戸信用金アートギャラリー展示