”磁祖 加藤民吉”と
瀬戸染付成立
時の呉須顔料
瀬戸陶芸協会会長
愛知県立芸術大学名誉教授
太田 公典
染付は、白い素地に青くなるコバルトを含んだ呉須顔料で描いたあと高火度(1250度)還元炎焼成した磁器のことです。日本では「染付」と言い、中国では「青花」と言われ14世紀に景徳鎮で発明されました。染付に使われるコバルトは、紀元前より西アジアでガラスなどに使われていましたが、中国に8世紀(唐時代)陶磁器の釉薬や顔料用低火度コバルトとして伝わり鉛釉薬と共に唐三彩に使われます。
日本には17世紀初め肥前地域に伝わります。その頃瀬戸は16世紀からの陶器生産の繁栄が磁器に押され19世紀に入ると陶器生産は減少してきました。そこで加藤民吉は、本格的な磁器生産のため19世紀初め天草・肥前地域に幅広く磁器製造技術を習得するため九州に向かいました。帰郷後は瀬戸磁器の品質向上に貢献したことで瀬戸染付は大いに発展し、その功績により磁祖として窯神神社に祀られました。
今回この時期、19世紀初頭から後半にかけての呉須の違いを分析することで、加藤民吉の果たした役割と瀬戸染付成立過程を呉須成分の違いから明らかにしたいと考え、瀬戸市・瀬戸市埋蔵文化センターの協力を得て瀬戸染付伝世品・発掘品21点と私が持っていた瀬戸の地呉須(瀬戸・美濃地域の堆積呉須)10点の分析を「あいち知の拠点シンクロトロン光センター」で行いました。その結果次のようなことがわかりました。
・地呉須には鉛が含まれている(図1)
分析した呉須中から鉛を含むものは1700年代~1830年代の呉須であり、地呉須と中国呉須が混合されたと考えられコバルトの量がそれ以後に比べて多いといえます。1830年代以後には鉛は含まれずコバルトの量も少ないことが分かりました。
・瀬戸と肥前呉須との近似値(図6)
マンガン4.5~7.5、鉄0.5~4、コバルト1.5~4と特にマンガンの量は肥前と近似値を示していることから、同じような呉須を使っていたことが分かります。
表1 年代と作品名
これらのことから地呉須に長崎経由で購入した中国呉須を混ぜたものを19世紀初頭には使っていたと考えられます。19世紀後半には鉛が含まれていないことでも、原料と技術が民吉没年頃19世紀前半に変化したことが分かります。また西アジアの特徴であるヒ素を含んだ呉須を使った谷文晁の春蘭を描いた水指が19世紀前期の中で鉛を含まないことも、同時代のヒ素を含む作品が鉛も含んでいることを考えると深読みであるかもしれませんが、文晁は発色の良い呉須を混ぜないで使ったと考えることもできます。これまでの私の研究でも肥前においてヒ素を含む呉須は上物に使われているという結果が出ています。
今回の分析は、あいちシンクロトロン光センターのビームラインBL11S2を使用し、大気中でシンクロトロン光を照射し、特性X線のエネルギーを有するカリウムのKα線から鉛のLβ線までのエネルギー範囲に含まれる元素の定性分析を行いました。図2はシンクロトロン光の測定位置決めの状況外観です。
蛍光X線分析を使った定性分析とX線吸収分光(XAFS)法分析で元素の吸収端ジャンプの高さ(原子量)により、呉須発色の主成分であるマンガン、鉄、コバルトの比率および不純物として含有されているヒ素と鉛の定量分析を次のように行いました。
ここで従来の蛍光X線分析とXAFS法による分析の違いを説明します。
サンプルS5の染付部分の蛍光X線分析結果を図3に示します。図中でカリウムとカルシウムのKα線、マンガン、鉄、コバルト、銅、ヒ素のKα線とKβ線、鉛のLα線とLβ線を矢印で示しました。マンガンのKβ線と鉄のKβ線がそれぞれ鉄のKα線、コバルトのKα線と重なっています。また、鉛のLα線がヒ素のKα線と重なっていて
10.5keV付近のピークが鉛によるものか、ヒ素によるものかの区別がつきません。一方、XAFS測定では、それぞれの元素の吸収端エネルギーが異なるため、より高い精度で量を比較できます。
染付部分と素地部分のマンガン、鉄、コバルトのXAFS測定を行い、それぞれの元素の吸収端の吸収係数のジャンプ量の差により、各元素量比を評価しました。
図4はサンプルS5の染付部と素地部のXAFS測定結果です。コバルト吸収端の吸収係数のジャンプ量を見ると素地部にはコバルトが全く有りません。マンガンや鉄は素地部にも含まれていますが、染付部のマンガンは素地部より多くなっていることより、染付部にマンガンが多く含まれていることが判ります。
図5は、サンプルS4の鉛、ヒ素のXAFS測定結果です。吸収端のジャンプ量により量比を評価することができます。図4より染付部にはヒ素が多く、素地部にはわずかなヒ素が観察されます。一方、鉛は染付部、素地部のどちらにもほとんど入っていないことが判ります。
上記の手法を用いて18世紀から19世紀にかけての伝世品・発掘品21点のマンガン、コバルトの量比とヒ素、鉛の有無を評価しました。各時代のマンガン、鉄、コバルト量の比を求め、その比率から求めた組成の三角ダイアグラムを図6に示します。
図6の 黒丸点、 赤丸点、 橙丸点で示す測定点は、表1の色分けと対応した18世紀から19世紀前期の測定サンプル、 黄丸点と 緑丸点で示す測定点は19世紀中葉から後葉にかけての測定サンプルです。SZ-1からSZ-7までの地呉須はマンガンが多くコバルトの比率は少なく鉛が入っていることが判ります。当時瀬戸が長崎から購入した中国呉須と地呉須を混ぜたものを使っていたことが、18世紀から19世紀前期の測定サンプルのマンガン比率が少なく“ 黒四角点の18~19世紀肥前呉須”と組成が似ていることで同類の呉須であること考えられます。19世紀後半の測定サンプルには鉛が含まれていないことから、19世紀中葉には原料や技術が変化していったことがわかります。
今回の分析結果を基に私なりに黎明期の瀬戸染付を呉須の面から明らかにして陶磁史の中での意味づけをおこないました。このストリーをより確かなものにするためには、まだまだ地下に眠っている18世紀末から19世紀、20世紀初頭の陶磁器の発掘による民吉九州行脚以前と以後の資料分析が待たれます。
また分析の中で資料陶片にヒ素・鉛が含まれていました。そのことで不安になる方もいるかと思いますが、従来の蛍光X線分析ではゼロと測定される程度の微かな量で、今回観察できたのは測定機器の進歩により微量の元素を特定できたためであり人体に影響することはありません。
本報告書はあいちシンクロトロン光センター東博純氏のご協力で完成しました感謝いたします。
また本研究は以下の研究費の補助を受けて実施しました。
・公益社団法人 大幸財団の助成による「瀬戸染付成立について-瀬戸・肥前・西アジアにおける呉須伝播と使用原料比較の研究-」
・あいちシンクロトロンセンター2018年度成果公開無償事業
「瀬戸染付と西アジア青色顔料の発色原因物質の解明と新規顔料開発」
参考文献
1.「瀬戸染付の全貌」瀬戸市美術館・瀬戸蔵2007
2.「日本窯業史創設」『日本近世窯業史』復刻版 柏書房 1991
3.あいちシンクロトロンセンター2018年「瀬戸染付成立について-瀬戸・肥前呉須顔料の比較研究」報告書(実験番号2018P0108)2018