「今日の1枚の写真がいつの日にか貴重な宝物に」
合資会社 フォトスタジオ伊里 伊里智也
私共は、1911年(明治44年)祖父が瀬戸の地にて写真館開業以来、4代に渡って、瀬戸のみなさまにお世話になっております。むかしから神社と写真館は深いつながりがあります。「赤ちゃんの宮まいり」「七五三」「結婚式」等、いずれも人生の大切な節目、切っても切れない関係です。
ところで、日本に写真術が伝来したのは、江戸末期の1859年、下田生まれの画家下岡連杖(しもおかれんじょう)さんが、日本の写真術の開祖と言われております。今では、だれでも簡単に写せる写真ですが、当時カメラは高価で操作もむずかしく庶民には高嶺の花でした。
その当時のエピソードを紹介しましょう。幕末の頃、15代将軍、徳川慶喜さんが、カメラにたいへん興味をもたれ、時には家臣をモデルに撮影していたそうです。腕前もハイレベルだったようです。
学校の卒業アルバムは、どなたもご存知と思いますが、昭和50年代まで市会議員の卒業アルバムのような物がありました。当写真館で制作していましたが、それは4年間の任期中の記録を残した物で学校建設、浄水場等の施設、顔写真等々の立派な写真集でした。
他には「せともの人形」の絵はがきも手掛けていました。撮影から4日間位で完成させて、せともの祭り当日の2日間でいつも完売でした。
そして、1995年に父が「あゆみ」という写真集を出版しました。これは、「写真で見る瀬戸の歴史」です。明治末期から昭和にかけて仕事を通じて撮影した写真集です。ご覧になれば「あっ、覚えてる」という方もたくさんお見えになると思いますが、その中から80年位前の写真3点をご紹介します。
深川神社の参道
正月かお祭りかすごい人の数でした。
瀬戸市役所(現在の瀬戸蔵)
橋の上で、人と犬が荷物を運んでいます。
自動車もいます。火の見やぐらも見えます。
瀬戸駅
当時だれもが利用したことのある思い出深い駅舎。
パルティ瀬戸が出来るまで、瀬戸の象徴的存在でした。私も高校時代、利用していました。
この写真集は、国立国会図書館、愛知県図書館、瀬戸市図書館、豊田市図書館に寄贈をしました。
写真は、人々の生きざま、思い出、歴史等を記録する、なくてはならない宝物だと思います。これからも心に残る写真を撮り続けていきたいと思います。