令和元年5月1日新帝陛下の践祚即位をお祝いし奉祝祭を斎行しました。小雨の降る中、総代、奉賛会員、一般参拝者60名ほどがいらっしゃいました。カムヤマトイワレヒコ、すなわち神武天皇が橿原の宮で即位されてより126代目の新帝陛下の即位を寿ぎまして特別なものにしたと考えました。声楽家 長江希代子氏に君が代を奉唱していただき、神前より境内に響くソプラノの歌声は晴れやかに、小学生の巫女による豊栄舞奉納は真剣に舞う姿が清々しく、それぞれ神事に花を添えました。また、玉串奉奠では神社に伝わる明治時代に作られた龍笛で楽を奏し、時代の変遷を経ても変わらぬ音が響き渡り厳かさを加えました。
また、新天皇陛下の御印の「梓」、新皇后陛下の御印の「はまなす」に因んだ御祝菓子を吾妻軒本店に謹製していただき神前に供えしました。そして、この新しく始まる令和の御代が、平和で豊かであることを祈り、最後に総代会長の発声で聖寿の万歳三唱し新帝陛下の誕生を祝福いたしました。あとにも先にも一度しかないこの尊い日に立ち会えたことを国民の一人として、神事を斎行させていただくことができた有り難さを神主として感じ入りました。
平成を振り返る報道で先の天皇陛下の御姿を拝見したり、最後のお言葉を拝聴したりして思い浮かぶのは16代仁徳天皇の民のかまどの逸話です。
髙き屋に のぼりて見れば けぶり(煙)立つ 民のかまどは にぎはひにけり <新古今和歌集>
仁徳天皇が、高屋にのぼられ見渡すと、民のかまどから煙が立ち上らないことに民が貧しいのではないかと心痛められました。そこで、年貢のとりたてをやめ、ご自身も質素に生活なされて3年経ったのちに、立ち上る煙をご覧になり民の暮らしが豊かになったことを喜ばれた御製と伝わる和歌です。天皇は民のために天に立ち、民が貧しければ天皇も貧しい、民が豊かであれば天皇も豊かであると言われたとされます。
上皇陛下も国民と共に30年歩んでいらっしゃいました。新帝陛下も同じく国民に寄り添い新しい御代を築いていかれようとなされるお言葉を述べられました。祝詞では国民を「おおみたから」といいます。これは、天の下(あめのした)、つまり国中の万民、天皇の御宝(みたから)という意味です。ですから、天皇が民を大切にされるわけです。そして、私たち日本国民は神代より続く万世一系の天皇を尊び、敬うことで時代をつないできたと思います。
神を敬う、祖先を敬う、親を敬う、師を敬う、敬うことが現代社会においてどれほどなされているでしょう。できてない私自身も反省します。相手を敬う気持ちがあればいさかいも起こりません。目を覆いたくなるような事件、児童虐待、親殺し、無差別殺人もおきないでしょう。相手の気持や意思を尊重しない写真やコトバがいとも簡単にインターネット上に横行しないでしょう。
新しい令和の時代が、敬う心を大切にするよき御代となることを心より祈念いたします。