ご参拝にいらした方がつぶやいた。今年の桜はなんだか煙って見える、と。
今年の桜は見事に咲いているし、眺められる期間も長く十分に私たちの目を楽しませてくれていると思う。では、なぜ霞んだように見えるのか、それは私たちの心が覆われて桜の花を楽しむ状態とは言えないから。
トンネルも出口があるから入ることができる。夏休みも終わりがあるからあれこれ計画し楽しめる。この新型コロナウィルス感染拡大はいつ終わるのか、心置きなく出かけて人と会い語ることができるのはいつになるのか、わからない。わからないことには不安は募るばかりである。
しかしながら、軽はずみなことは言えないが、この緊迫した非日常ではあるが逆に何か得るものはあるのかもしれない。それは人それぞれに異なるだろうが、それを考えることをしなければ罹患してなくても病に屈したことになる。お天道様は常と変わらず私たちを照らしている。希望を見出し今できることを探したい。不安を払しょくするには具体的なことを地道に一つ、一つやってみたい。
神社もさすがに参拝者は少ない。お参りを控えてご自宅で神棚の前で手を合わせていらっしゃる方もいらっしゃるだろう。その一方この疫病の終息を祈る気持ちを記し神前に供える方もいらっしゃる。どちらの祈りも尊い。
神職ができるのは祈ること。人々が健やかで心安らかにいられますように、人々の生活が平穏でありますように、流行り病が一刻も早く祓い除けられ、元のいつも通りの毎日に戻れますように、ただひたすらに祈る。